私の故郷に,一風変わった不思議な神社がある.由来は詳しく知らないが,私はこの神社を普通の神社だと思っていたので,世間でいう普通の神社に初めてお参りしたとき,随分戸惑った覚えがある.
私は雪を嫌ってこの街の大学に来たので,冬に故郷に戻るのはこれまで極力避けていた.しかし,今回は法事のために,日の差さない鉛色の雪国に帰らざるをえなかった.法事のためだけに故郷に戻るのは気が滅入った.もうひとつ目的を作ろうと,この帰省の間にその神社について色々と調べようと決めた.
この冬の間,この街でほとんど雪を見ることなく三月になった.同じ三月でも,この街から新幹線を乗り継いだ先にある私の故郷は,未だに雪と雲とに閉ざされたままだった.新幹線を降りて駅を出ると,丁度駅前の停留所に乗るべきバスが着くところだった.曇天の下,雪まじりの水をまきあげながらやってきたバスを追って,足首まで浸かる氷水の中を一直線につっきった.
その神社は,手擦神社という小さな神社だ.
特に有名という訳ではないのだが,私にとっては,亡き曾祖母がよく連れて行ってくれた,思い出深い神社だ.夏には境内で不思議なほどわんざ(蝉の抜殻)がとれるので,曾祖母にねだってよく連れてきてもらった.鬱蒼とした森に囲まれた手擦神社の境内は涼しかったが,どこか湿った雰囲気を感じた.夏の頃の手擦神社は割合簡単に思い出せるのだが,冬の頃の手擦神社の記憶はあまりない.憶えているのは,他に人を見たことがないことと,暗い寒空だけだ.幼いころにはよく行ったが,曾祖母が亡くなってからは,本を読むようになったのもあって,縁遠くなってしまった.そのため,しばらくその存在を忘れてしまっていた.
今回の法事がその曾祖母のものであるので,その繋がりで神社の存在を思い出したのだ.不思議な神社ではあるのだが,インターネットで検索しても全く情報が出てこない.思い出してすぐは,さっと調べのつくようなものに思われたのだが,そうはいかなかった.曾祖母が何か話してくれたような記憶はあるのだが,当時私がまだ幼く,また曾祖母も故人となって久しく,内容は何一つ分からなくなってしまった.
実家に着いてから,図書館などで色々と本にあたったが,何も収穫はなかった.無益な時間を過ごすうちに,法事の日がやってきた.田舎の法事は,法事を理由にした親戚連中の宴席に近い.私はそのような場を嫌っていたので,さっと独り抜けて,もう一つの目的だった手擦神社に向かった.
神社までの田舎道は雪と泥とでひどくぬかるんでいた.ここまで悪い道を歩いたのは久しぶりだったので,神社につく頃には足取りもすっかり重くなり,裾にもところどころ汚れが見えた.日陰のないこの道ですらこう雪が残っているなら,と思った通りだった.周りを囲む森の木々の陰になり,手擦神社の暗い参道はその幅すら分からないほど雪が多かった.辛うじて参道の中央部は雪が除けられていたので,真ん中を通らないよう,少し脇によって歩いていった.
この神社の不思議な点が,これから行うお参りの仕方にある.
まず,境内脇の清水で手を洗う.この清水,夏は冷たく気持ちいいのだが,冬は痛いという言葉しか出ないほどの冷たさなのだ.そのため,夏場に他の参拝者を見ることはあるが,冬場は滅多に見ない.また,洗うといっても,普通の神社のように手をすすぐのではなく,しっかりと手をこすって洗わなければならない.次に,洗った手をよく拭き,水気をしっかりときる.この神社にお参りするときは,手を拭くものを必ず持っていく必要がある.忘れずに持ってきたハンカチでよく手を拭けば,ここまでで準備は終わり,いよいよお参りとなる.このお参り自体も不思議なもので,この神社には賽銭箱はあるが鈴がないのである.その代わりに箱のような木製の台座と,その上に付いた金属製の半球のようなものがあるので,これを奥から手前にかけて,必ず一方向に擦ってお参りする.このお参りの仕方が,手擦神社の名前の由来ではないか,と言われている.
お参りを済ませた後,手擦神社の建物を一通り見て回ったが,やはり建物自体は特に不思議なところのないものだった.良く言えば慎ましい,悪く言えばどこにでもあるような,そんな神社だった.ざくざくと雪を踏みながらしばらく建物を見ていたが,その様子を不審がられたようで,神職の方に声をかけられた.傍から見れば確かに不審なので,誤解のないよう正直にこの神社について少し興味があると言うと,珍しがってくれた.詳しいことは分からないが,この神社の由来を話してくださるということで,運よくこの神社の話を聞くことが出来た.寒い中で話をするのも,ということで社務所の中でお話を聞くことになった.
結論からすると,この神社の元々の由来は分からないということだった.少なくとも江戸期以前にはこの地にあったらしいのだが,明治の戊辰戦争や廃仏毀釈,昭和の国家神道や太平洋戦争などによってほとんど由来が分からなくなっているという.特に,二度の戦火によって,紙の資料はおろか,この神社自体も焼けてしまったため,過去を伝えるものはほぼ現存しないということだった.確実に言えるのは,江戸期には既にこの地域の人たちに親しまれてきたことと,この神社が『北越雪譜』に紹介されていたということのふたつだった.
『北越雪譜』とは,江戸時代のこの国の生活や風俗,言葉や民話などをまとめた百科全書的な本のことで,幕末の江戸で人気を得た本だ.この『北越雪譜』は私も読んだことがあったのだが,この神社に関する記述は全く記憶にない.このことをたずねてみると,実際に出版された版では,この神社に関する記述が版元によって削除されてしまったということだった.この話については私も耳にしたことがあった.『北越雪譜』は著者の鈴木牧之が実際にこの国で見聞きしたことを書き留めたものだった.しかし,その内容は江戸の版元の想像をはるかに超えたものだった.版元は雪国の不思議な文化風俗を信じることが出来ず,創作や誇張が含まれていると考えて勝手に削除したり修正したりしてしまった.この創作として削られた部分にこの手擦神社の由来に関する記述があったらしいのだが,原本は既に失われており,今となっては確認するすべはなくなってしまった.
この『北越雪譜』の記述さえ残っていれば,手擦神社の由来がより正確に分かっていただろう.今ではこの地域にも人が少なくなり,この神社について熱心に調べて,歴史を後世に残そうという人はいない.私も,出来ることなら他人の調べたことを,後から勝手に頂戴しようと考えていたのだから.
ここまで話を聞いてきて,私の熱心さを嬉しく思って下さったようで,特別に御神体を見せていただけることになった.御神体は,二度の戦火にも負けずに残っていたようだった.
案内された本殿は,薄暗く,冷え込んでいた.神妙な気持ちになるとともに,足裏から直に伝わる冷気が体を上ってくるのを感じた.観音開きの扉の向こうに,御神体があった.戦火から焼け残ったのもそれもそのはず,御神体は金属でできていた.金属の長い棒の先に,丸い金属のかぶせものがあり,冷えた空気の中に凛と直立している.丁度その背丈は私より頭一つ高いぐらいだった.御神体といえば,と鏡や剣といった手に持てる小さなものを思い浮かべていたので,大変驚いた.本殿の冷え込みも相まって,冷気をたたえたその姿は,この世のものでないような雰囲気に包まれていた.
これは一体何なのか,と失礼ながらもたずねると,ただ名前を「己伊留」ということしか分からないということだった.
「己は伊に留まる」
あやしい気持がした.日本語離れした名前が,この気持ちをより強くした.鼓動が次第に高鳴るのを感じた.「コイル」と言われてみると,見れば見るほど,この御神体はテスラコイルのように見えてきた.
テスラコイルを発明したニコラ・テスラは,エジソンと発送電の方式で対立した.テスラはこの対立を制したものの,その後のテスラコイルを用いた無線送電システムである「世界システム」の開発に失敗し,やがてオカルト的な研究に没頭していった.晩年のテスラはテスラコイルを用いた「霊界通信機」を作り,死後の世界と意思疎通をとろうとしていた.奇しくも,かつて対立したエジソンの最後の発明品も「霊界通信機」だった.世間では,これらは両方とも失敗したと言われているが,実はこの雪国で,ひっそりと成功していたのかもしれない.言葉も,時代も違うこの雪国で.
死してなお,テスラは異国の地に留まり,さらに研究をすすめようとしていたのだろうか.さらに聞くと,この神社に参拝した人の中には,亡くなった人が夢枕に立ったという話をする人もいるという.これもテスラが今も死後の世界から意思疎通をとろうとしていることによるものなのかもしれない.
お話の後,神職の方には厚くお礼を言った.信じがたいが,一筋の興味深い話が出来上がった.全てを知ったうえで,改めてお参りをしようと,あの不思議な準備を行った.清水の冷たさも,遥かな時代を思えば全く気にならなかった.よくよく水気を拭きとり,金属半球に触れようとした瞬間,指先に少しピリッとした痛みが走った.それと同時に,幼いころ一緒にお参りをしているときにこの場所で見上げた曾祖母の優しい顔を思い出した.驚きつつも,答えてくれたようで嬉しかった.
お参りを済ませ,後ろを振り返ると,いつの間にか,この国の冬には珍しい晴れ間が差しているのに気が付いた.足取りはいつもより軽く感じられた.私は日の差しこむ明るい参道を戻った.